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官網:ヴォイス~命なき者の声~

法醫,是聆聽亡者最後聲音的人。要有一顆溫柔細膩的心,才能傾聽亡者所傳達的最後訊息。就像送行者一樣,這樣的工作對我來說是全然的陌生,看CSI、アンフェア等等之類的戲劇只覺得這個工作很科學,但看完這部日劇對於從事這個的職業的專業人員們,又多了一種從感性的角度來認識這個職業,更多了分尊敬。以下是看完隨手寫下的碎碎唸,還有摘錄的台詞。(沒什麼重點 )

ep1 『失われた命を救う医学』

石原さとみ真的很像 林依晨+蘇慧倫升級版 :p

瑛太的聲音好好聽,我一直覺得很溫柔。從アンフェア那時候開始~東京フレンズ裡面也有這樣溫柔的聲音。のため的時候刻意拉高音我反而不喜歡。ロス:タイム:ライフ的口白讓我聽得很舒服。ラスト・フレンズ的時候也是用這種讓我喜歡的聲音。啊~溫柔的聲音是我的致命傷之一吶!

第一集的時候看瑛太在"破案"時和家屬說明時,感到悲傷時,總會強忍著眼淚抓著褲角,小時候那場戲導演也給了特寫,我還以為有什麼梗呢,結果從第二集開始就再也沒有出現過了~ (冏)

生田斗真還是一如往常的可愛,對,我覺得是可愛的感覺。有認識一個美眉覺得他很帥 :p

遠藤雄弥,你你…怎麼還是脫離不了演諧星的角色。他的臉還蠻好認的,但名字怎麼也記不住,第一反應就是交響裡的那個指揮~(連指揮的名字也叫不出來:p)

ep2 『卵持って感電した男』

最後還是流了幾滴眼淚,
好像是講到能找到共同興趣那段讓我覺得有點小感傷。
いままで,好像還沒有碰過這樣的男人。:P

覺得大己破案的模式蠻像カリレオ的,總覺得有一小點沒創意吶!

ep3 『15年前の母の死因は』

最後又流了一行清淚,為什麼哭?我不懂.
在工廠看照片哭的時候我都沒有想哭的感覺
反而是羽井和哲平和電音教授蕪木さん道謝完我哭了 @_@

男なら、責任持って、盛り上げろって。
(是男人的話就負責帶動氣氛)

諦めたらその人の人生はそこでおしまいだって、
どっかの偉い人が言ってるでしょ。
まあいいか、これでいいよが堕落の始まり!
(某個偉人不是說過,要是放棄的話那個人的人生也就到此為止了
『算了』『就這樣吧』是墮落的開始)

ep4 『解剖台の上の親友』

終於有一集沒哭了,我的哭點還真低.
這集死者尋死的原因我不是很能認同,所以沒有同理心吧^^"
就像ep6大己對小妹妹說的話吧:優しさじゃないよ

ep5 『見えないスクープ写真』

流淚一行,在小弟弟問到:お父さん・・死んでどこ行っちゃったの?

「これね、揃える面白さはもちろんあるんだけど、
 俺はこのキューブそのものが好きなんだよ。」
 (雖然把每一面弄成同一種顏色也很有意思,但我喜歡的是立方體本身)

「どうしてですか?」
「例えば、ポケットのゴミを捨てたとする。
 ポケットの中のゴミは無くなって、ポケットが綺麗になったと思うのか、
 捨てたゴミが町を汚したと思うのか。
 違うよな。
 で、このキューブ、ある一面の色を揃えようとして動かそうとすると、
 それに連動して、他の麺も、変わってしまうよな。
 起こしたアクションが、周りにどういう影響を及ぼすのか。
 何事においても、そのことに気づけるか気づけないかで
  大きく変わってくる気がするんだよね。
 こんなちっちゃいおもちゃだけど、妙に哲学的だよな。」
(比如說我把口袋裡的垃圾扔了,是該認為口袋裡沒有垃圾變乾淨了?
還是垃圾把街道弄髒了呢?這兩種想法是不一樣的吧.
這個魔術方塊一面的顏色一致而轉動的話,
同時其餘的面也發生變化了吧.
做出的動作會給周圍帶來怎樣的影響,
對任何事情來說,是否能夠察覺到這一點會產生很大的變化.
這麼小的玩具裡也有奇妙的哲學呢.)

「お父さん・・死んでどこ行っちゃったの?」
(爸爸死後會去哪呢?)
「・・・どこにも行ってないよ。
 実君、お父さんのこと思い出すだろ?」
(他哪裡都沒去唷,小實你會想起爸爸對吧?)
「うん。」
「そうすると、実君の、頭の中とか、心の中に、
 ちゃんと来てくれるんだよ。
 だからさ、あんまりしょっちゅう思い出したらダメだよ。」
(這樣他就會來到你腦中,到你心裡,所以不能經常想起他唷.)
「どうして?」
「行ったりきたりしすぎると、お父さん息切れしちゃうからさ。」
(老是來來回回的,爸爸會很累的)

ep6 『予期された入院患者』

ミュンヒハウゼン症候群?
什麼是"閔希豪生綜合症"?

他人の関心や同情を得るために、偽の症状や病歴を作って治療を求め、
通院や入退院を繰り返す症状のことです。
(為了博得他人的關心和同情,假造一些症狀和病史,
不斷重複接受門診治療,或者住院和出院的病症)

原因は、何でしょうか。

昔と違って人間関係とか、コミュニケーションの取り方が
変わってきてるからじゃないかな。
核家族化も進んでいるし、近所づきあいも減ってきてます。
それで、誰にも悩みを打ち明けられず、誤った方法でしか、
他人の関心を集められない人が、増えているのかもしれないね。
だから、ミュンヒハウゼン症候群というのは、人の寂しさが見出した、
現代ならではの症例、と言えるんじゃないかな。
(現在的人際關係或是交流方式和過去有所改變,
小家庭比例上升,和近鄰的溝通也比以前減少了,
在這種情況下,有些人無法像任何人傾訴煩惱,
只有透過錯誤的方式,才能博得他人的關心,這樣的人也在變多,
所以閔希豪生綜合症可以說是因寂寞而生的,只有在現代社會才有的病症)

代理によるミュンヒハウゼン症候群
(有代理人的閔希豪生綜合症)
代理とは身代わり、つまり、自分以外の身近な人をわざと傷つけて、
治療や看護する姿を周囲に見せつけ、
同情や、関心を集める症状のことよ。
(所謂代理就是代替他人,也就是指故意傷害身邊與自己親近的人,
讓周圍的人看到自己治療以及看護的樣子,
從而博得同情和關心的症狀)

ep7 『命がけのタイムセールス』

以前我還年輕的時候覺得這一生只要有狗狗陪在我身邊,
就算家裡只剩我一個人了,我還有朋友,這樣就足夠了
現在發現我沒有想像中的獨立,朋友終究有自己的生活要過,
狗狗再怎麼貼心仍無法對話溝通,有一種無形的距離存在
還是想要一個可以作為伴侶互相扶持的人在身邊支持著彼此

40年も一緒にいるって、すごいことよね。
夫婦って、赤の他人からスタートするけど、
いつの間にか親と過ごした月日を簡単に追い越しちゃって、
一番長く連れ添う相手になるんだよね。
(在一起40年,真是了不起的一件事啊
夫婦雖然是從做陌生人做起的,
可是一旦一起生活了,
很容易就會超過和父母一起生活的日子,
成為相伴彼此時間最久的人)

本当に怖いのって、自分に失望することだって思ったんだよね。
(我覺得真正可怕的是對自己失望)

イメージなんて全然当てになりませんよ。
(想像未來的自己是沒有用的)

お前がいてもな・・寂しいんだよ。
(就算有你還是很孤單吶)

ep8 『決して消せない炎』

看之前就有聽朋友分享讓她們最感動的是ep7
沒想到我在ep8哭的比ep7還多,也許是和這集的故事有關吧...
那種恐懼和懦弱的感覺,我經歷過所以感同身受...
這種時候朋友伸出的雙手真的超級溫暖的...

自分がこうなるまで・・人が死ぬってことを・・ 
どこか、他人事だと思っていた気がするんです。
それまでは、解剖台の上に、乗る側の人間になるなんて意識、
全然ありませんでした。
今回、もし、肝炎に掛かったらって考えた時、
初めて・・自分が、生きるか死ぬかってことについて、
真剣に考えた気がするんです。
甘かったと言われれば、それまでなんですけど、
法医学の、表面的なことに、憧れてただけなんだなって
気づいちゃったんです。
(直到我自己變成這樣為止,我一直覺得死這件事似乎和我沒什麼關聯
我完全沒有想過,會成為躺在解剖台上的那個人
這次,想到萬一感染上了肝炎,我才第一次認真地考慮了自己的生死
說白了就是自己太幼稚了,可是我發現自己只是被法醫學外表吸引了而已)

君たち見てるとさ、時々、自分の学生時代を思い出すよ。
振り返ってみるとさ、
ああすれば良かったとか、こうすれば良かったとか。
そんなことばっかり。
でも、立ち止まってちゃダメなんだよな。
今何が出来るのか、今何をすべきなのか。
結局、目の前にあることを淡々とやるしかないんだけどさ。
でも、そうすることで、また少しずつ先が見えてくるんだよね。
(有時候我看到妳們就會想起自己的學生時代,
回頭看的時候,總是會覺得當初要是這樣或者那樣做就好了,
不過我們不能停下前進的腳步,
自己現在能做的是什麼,自己現在應該做什麼,
歸根究底我們只能踏實做好眼前的事,
其實這樣做了之後,就會一點點地看到未來)

ep9 『雨を読めた男の死』

想到之前算命老師說過的,
自殺的人因為時辰還沒到會徘徊在人間哪裡也去不了,
因為我和死者的理念不同,很冷血的看完這集...

お父さんにどんな事情があったとしても、
自殺はいけないことだと思うんだ。
たとえどんなに苦しくたって、生きていることに、
勝る支えなどないと思うから。
(無論你父親有怎樣的苦衷,我絕得自殺都是不對的
因為我覺得不管有多痛苦,只要活下去就是對家人最大的支持)

ep10 『最後の大勝負』

是連續一直看下去的情緒堆積?還是這集的內容有觸動到我的哭點?
目前哭最多的一集出現了,雖然說是哭最多,但只是流淚變多而已,還不到抽蓄的哭法.
一想到貴之(院長)是懷著怎麼樣的心情去執行這件事,就覺得心痛和難過...
懷著善意的決定對方是否能理解,有時候沒有說明仍是難以被傳遞的吧

後悔し続けたままにするのか、いずれ振り返った時に良かったなと
思えるようにするのかは、自分次第なのよ。
(到底是讓這件事成為你永遠的遺憾,
還是不讓自己留下遺憾,全看你自己)

ep11 『別れの時、僕らの明日』

透過醫學延遲死亡的到來是否違反了自然的法則呢?

・・・もう少し考えたいんだよね。
この先続けるべきなのか、本当に向いてるのか、
本当に法医学が好きなのか。
まだ自分の中で答えがはっきりしないんだ。
俺にとって、法医学って何なのかさ。
(我想再考慮考慮,是否該繼續學下去?
是不是真的適合我?我是不是真的喜歡法醫學?
我想還沒有明白,對我來說法醫到底是什麼?)

好きでもないこと、そんなに考えないでしょう?
興味があって、答えを探したいから、
どうしてって思うんでしょう?
答えを探したり、理由を求めたいって強く思っている時点で、
もう好き・・ってことでしょう?
それに・・本当に好きなことほど・・
簡単に、好きって言えない気がする。
(如果你真的不喜歡,就不會想這麼多了吧~
有興趣,想要找到答案,所以才會問為什麼不是嗎?
強烈想要尋找答案,追究原因的想法就是喜歡了吧
而且越是真正喜歡的,越難說出喜歡兩個字)

人は死んだらおしまいだ。
僕らはそう思っていた。
医学とは、消え行く命を救うため。
死を少しでも先延ばしするために、
存在するのだと、そう思っていた。
でも、失われた命にも、医学は存在した。
失われた命から発せられる声に、
必死に耳を傾けようとする医学が、
ここにはあった。
(人一死就什麼都結束了,我們以前是這樣認為的
認為醫學是為了拯救將死的生命,
為了能推遲死亡的到來而存在的,
但是,拯救逝去的生命的醫學也同樣存在,
在這裡,有努力傾聽亡者之聲的醫學)


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